親の介護をしてきた私たちの「これから」へのチャレンジを考える会
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親の介護をしてきた私たちの

「これから」へのチャレンジを考える会

親の老後と私の老後は同時進行
幾度も実家へ通ったものだ|もうすぐ100歳の親を介護中

遠距離介護をしてきた私たち…
親の介護を経験し、卒業した人も、まだまだ同時進行中の人も
その経験を糧に、これからの生き方を考えるサイト

トピックス

2025.07.31 漫筆
炎天下の雑感

関西在住のほかちんと申します。妻と二人暮らしの酉年生まれです。折に触れて感じた独白。

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またまた卓球の話だけど、週2の同好会とは別に火曜と土曜の自宅のガレージに卓球台をおいて、ご近所の同好者が集まるシルバー倶楽部にも参加している。僕ら夫婦は1番年下(!)ということもあって◯◯ちゃんと呼んでくれ大変可愛がってもらっているし、僕らも下の名前で呼ばせてもらっている。この炎天下、自転車こいで10分くらいのご自宅に伺い、高齢者6人から8人集まり練習し、ダブルスやって2時間半。合間もぐもぐタイムの雑談も楽しくて仕方ない。正直地元の友達ができてうれしい。卓球始める前は、1年ほどスポーツジムに通ってたけど、黙々と一人でやっていて一言もしゃべらずに帰ってきてたのと段違い。

元気に体動かせるのは、あと10年くらいかな、日々大事に過ごしたいと、アプリの誰に見せるでもない日記をつけ始めて1年余。なんてことはない日常のうち、睡眠時間と夕食だけは必ずつけて、たまに行った先の風景やら、食べたもの、会った人との写真を載せたり、ときには折りに触れ感じたことも書いたりしてる。

だけどLINE以外のSNSはやらない。弟がインスタでフォロワー2000人と聞いてもやらない。便利で世界が広がるだろうけど、面倒なのと現状に満足しているし、普通に幸せだからかな。

時間はあるのでボランティアで社会貢献なんて考えたこともあるけど、気持ちはあっても飽きっぽいし、手を動かすほうでもないのでやらない。わずかばかり寄付をするだけだ。(了)

2025.06.14 漫筆
父のこと

関西在住のほかちんと申します。妻と二人暮らしの酉年生まれです。折に触れて感じた独白。

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15年以上前になる。父が、風呂場で脳梗塞で倒れ救急車で運ばれた。

病院でリハビリ終了後退院するとき困ったのは、母が一人で面倒見るのは大変だろうということだった。

私も姉も弟も遠く離れて暮らしているため、後遺症が残る父を高齢の母が一人で面倒みるのは大変なのは明らか。たとえ介護サービスを受けるにしてもだ。

結局、父を実家近くの高齢者施設個室に入居させた。しばらくの間と父には言い聞かせ、結果的には騙した格好だ。

帰省したときに施設を訪れると、家に帰りたいという父をなだめすかしたもんだ。

一人暮らしになった母は、静かに本を読む時間ができたと言っていた。倒れる前から父が粗相するなどして世話が大変だったようだ。

施設ではおいしい食事がでて、帰省したときには一緒に食べた。提携先のクリニックで定期検診もあって安心していたが、その後、父は前立腺肥大の手術もし、認知症を発症し、衰えが急速に進んだ。寝たきりになり意識もなくなり長期療養型の病院に入院した。

最初は呼びかけると返事をしていたが、数カ月たつと酸素吸入と経鼻で栄養補給してなんとか命を維持するだけで呼びかけても反応がなくなった。

ベッド脇で見守っている間にも、たんが溜まるのか苦しそうに大きく咳き込む。あわてて看護師さんを呼んだりもした。

帰省して父の苦悶の表情を見るたび尊厳死という考えも頭をかすめた。

父は16歳のとき、学業のためにいた広島で被爆した。直後、命からがら九州に帰ったはずだ。

父から被爆したことすら直接聞いたことはない。当時の地獄図を思い出したくなかったのだろう。被爆二世となる僕らの将来を案じてか、被爆者手帳を申請したのは定年後だ。

今年は、被爆80周年。優しかった父を偲ぶため8月6日広島を訪れるつもりだ。(了)

2025.04.13 漫筆
卓球

関西在住のほかちんと申します。妻と二人暮らしの酉年生まれです。折に触れて感じた独白。

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昨年暮れから、妻と一緒に卓球を始めた。

市役所が主催する市民スポーツの卓球に遊び半分で夫婦で参加したところ結構面白かったので、地域の同好会をのぞいたのがきっかけ。

同好会といってもまったくの自由参加、週に月、木の2回、参加したときに一人300円を支払いおよそ3時間プレーする。参加者は70歳台がメインだが80歳台も多いようだ。だいたい男女半々50人程度、体育館の卓球台を15台借りて相手を適当に変えながら主にダブルスをやる。上手なので中高の卓球部経験者かと思いきや60歳過ぎてから始めたという方がほとんど。夫婦で来ている人も何組かいる。新参者で素人の私達夫婦に、色々な人が声をかけてくれるし、会長はじめ関西人特有のしゃべくりも面白くて居心地が良い。先生も時々いらして無料で希望するプレーを教えてもらえる。

やってるうちに面白くなり、勧められてマイラケットを買った。張本選手のお父さんが書いたレッスン本や動画で技術も勉強した。挙げ句に、物置になっていた部屋にミニ卓球台を置き妻がダイソーから買ってきた小道具でネットなどを作りサーブやフォア・バックハンドの練習をしている。

運動にもなり、地域の人と交流ができ、何より妻と同じ趣味ができたのがうれしい。今の目標は、シングルスで勝てない妻にせめて互角になることだ。(了)

2025.04.01 漫筆
税務署と税理士と銀行

関西在住のほかちんと申します。妻と二人暮らしの酉年生まれです。折に触れて感じた独白。

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3年前、子がいない伯母が亡くなり、全財産を妹の叔母が相続した。叔母は、税理士に相続税申告書作成を依頼し、税理士に言われるがまま銀行預金通帳や不動産関係資料を揃え申告を終えた。ところが昨年税務署が来て申告漏れがあるという。銀行の投資信託分がまるまる漏れていたというのだ。すべてを税理士にまかせ、出来上がった申告書にさして目を通さず印鑑を押した叔母にとっては青天の霹靂。

税務署が言うには、投資信託の名義変更をし、その後も銀行窓口で評価額の推移の説明を受けていながら申告しなかったのは、仮装隠蔽とみなされ重加算税の対象となる、税理士に任せていたとしても責任を免れないとのこと。

昨今の銀行は、投資信託も窓口販売するのは当たり前。税理士が、銀行に残高証明書を申請するよう叔母に指示すれば、投資信託が漏れることもなかった。

また銀行は、死亡に伴う相続とわかっていても申請しなければ残高証明書を発行してくれないという。

やむなく叔母は重加算税を支払った。

税務署に再審査を求めることも、善管注意義務を怠った税理士を訴えることもできるらしいが、高齢の叔母にはもうその気力もない。なんとも理不尽な話だと思う。

酷税庁とポンコツ税理士と冷たい銀行には気をつけたい。

2025.03.23 漫筆
私のこれから

若いころは歳をとった自分を想像したことはなかった・・・

でも、今はしっかり70歳を超えた自分にビックリ!

今まで毎日勤務していた仕事を辞めて、今は、なんだかつまらない・・・。

やることがない?いえいえ、相変わらずの家事、ガーデニング、家中の断捨離などなどやることはいっぱいあり、おまけにスポーツジムにも行っているけど、何となく「つまらない」。

私と同じ年代の友人はどう暮らそうとしているの?

私の年代を母はどう暮らしていたの???

気になり思い返してみました。

母は現在96歳。

父を見送ってからの20年間。一人暮しで、どんなことを思い、生きてきたのか?

20年前、母は父を見送ってから自宅で一人暮らしに…。

「寂しい」とか「つまらない」なんて全く言わず・思わず(多分…)、買い物や食事に困ることなく楽しく過ごしていました。

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